六時。寒くて目が覚めた。花子はすでに起きていて、あいかわらずフニャンフニャンを繰り返している。寒いと訴えているのだろうか。ならばじっとしているはずだが、と訝りながらヒーターの電源を入れると、そばに貼り付くようにたたずみ、そのまましばらく動かなかった。
午前中は某ビル管理会社HP、某ITベンダーのカタログやDM、某公共団体の新聞広告など。
尊敬する経営コンサルタント、阪本啓一氏の会社「Palmtree」が発行するメールマガジンが、LOHASについて言及していた。あれは、それなりの収入がなければ実現できないライフスタイルだ、と。このメルマガ、最近は企業におけるリーダーシップについて連載しているから、おそらくは部下のモチベーションアップがQOLにつながる、といった話につながるか、QOLがモチベーションアップにつながらないこともある、といった話につながるか、いずれにせよそんな展開になるのだろうが、そのことはまあいい。問題は「LOHAS」だ。以前からこの言葉が気になって仕方がないのに、その内容にどうしても興味関心を寄せることができない。「エコ」なら自分にできることはやりたいと思う。「オーガニック」ならおいしいから予算が許す限り、なるべくナチュラルな野菜を食べるようにしている。「田舎暮らし」には多少ではあるが憧れる。「家族」も大切にしたいと思う。「スローライフ」も望むところだ。ところが「LOHAS」ではピンとこない。エコ、ナチュラル、オーガニック、田舎暮らし、家族愛、スローライフ……と、あらゆる要素をたし算して作り上げた大きな概念であることはわかるのに、なぜだろう、と常々漠とながら思っていたが、ようやくわかった。「LOHAS」には、セレブの香りがするのである。もっとわかりやすくいえば、「LOHAS」はセレブ階級の特権なのだ。一般庶民がLOHASライフを実現するのは困難だ。金が要る。さらに言ってしまうと、「LOHAS」とは、セレブ階級の現代社会からの逃げ道なのではないか。……こんな考えは、ひねくれているのだろうか。
午後から霞が関へ。不思議なアーチを見つけた。外務省前の歩道である。外務省の敷地と歩道のあいだの芝生に、桜が道に沿って一直線に植えられている。すっかり落葉も済んだようで、黒々とした枝に黒々としたつぼみが点々としているのが、灰色の空をバックに浮き上がって見える。枝は路からぼくら通行人の頭上のほうへと弧を描いて伸びている。一方、歩道の反対側、車道側にはトチノキが植えられている。桜よりはやや薄い灰色の幹が七、八メートルまで伸び、そこから枝が広がり、手のひらをぶらりと下げたような形の葉が黄色く染まり、風に打たれてブラブラしている。まだ葉は落ちず、かなりの量が空を覆い隠している。つまり、地下鉄の駅から虎ノ門のほうへと歩いていくと、右側には枯木と枯れ枝の円弧が、左側には黄色い手のひらのような円弧がそれぞれ伸びてゆき、ちょうど頭上で重なるのだ。アシンメトリなアーチである。見上げてみる。半分ずつだ。なんだか自分の髪の毛まで半分だけハゲたような気になってくるから不思議である。
打ち合わせは十五時に終了。次の打ち合わせは銀座で十八時。三時間も空いた。仕方がないので、スターバックスで珈琲をすすりながら某不動産会社HPの仕事をする。キャッチフレーズとキャンペーンタイトルだけなのだが、テーマが固定的すぎる分だけ苦戦している。
十八時、銀座へ。クリスマス色がますます濃くなっている。数寄屋橋の交差点で、ふと空が観たくなり、顔を上に向けてみた。満月にかなり近づいた月が明るく輝いているが、ほかはといえば、あれは宵の明星か、それとも火星か、目立って煌めく星がひとつあるだけだ。夜空がイルミネーションに負けている、と思った。本来なら見えるはずの満天の星々は、おそらくはどんなクリスマスツリーよりも美しい光を見せてくれるはずなのに。
二十一時、帰宅/帰社。
読書は、遠藤周作『海と毒薬』を少しだけ。