七時起床。夜中、幾度となく花子に起こされたが、もうイチイチ書かない。
午前中は土日に書きためた諸案件を一気にフィニッシュして納品。午後からは打ち合わせのハシゴ。冷たい風に背中をグイグイと押されながら、小石川、霞ヶ関、麻布十番と回る。霞ヶ関は二件あったから、打ち合わせの数は合計四件。お会いした方、総勢十一名。そのうち三名がはじめての方、二名が二度目の方だ。短時間に、これだけ多くのひとと会うと疲れてしまう。疲れる相手だとか面倒な相手だとか、そんな失礼なことをいいたいのではない。ひとと会うということは、こちらもそのひとのために自分のちからを出しきろうとするがゆえに、消耗するのだ。もっとリラックスして望めばよいのだろうが、ついどこかで力みすぎてしまう。暑苦しいほどの全力投球というのではない。自分のちからを発揮できる部分を探して、そこに注ぐ。それだけの話だ。ただ、その注ぎ方が非効率的なのかもしれない。これで空回りしたら最悪だ。もっとも十年以上前、サラリーマンの新人時代はそんなことも多かったが、今はそれくらいの分別もちから加減もわかってきている。わかっているからこそ、どこかに無理があるのかもしれない。あるいは、新人時代の無駄なエネルギーが溢れる感覚をもう一度呼び戻したいという欲求がココロのどこかにあるのかもしれないが、よくわからん。
荻窪ルミネの書店で雑誌数冊、「ファンケルショップ」で青汁、「ダロワイユ」でちょっとフンパツしてひとつ五百円のパンを買ってから帰宅/帰社。二十時。
「SMAP×SMAP」の、マドンナがゲスト出演したコーナーだけ観た。マドンナ、きれいだけどやはりオバサンになったなあ、と痛感。一方で、自然の摂理に逆らう歳の取り方だ、とも思った。ポップ・スターは何十歳になってもポップ・スターであり続けなければいけない。マドンナは、ただそれをひたむきに守り続けているのだと思う。その姿勢が、尋常じゃないのだ。
田中小実昌「北川はぼくに」。《死んだ初年兵は、夏衣の胸の物入(ポケット)に箸をさしていたという。「箸か……」ぼくはすこしわらった。北川も笑ったような顔になった。》意外な、地味だが脳天をぶちくだかれたような感覚もある、ふしぎな書き出しで本作ははじまる。初年兵として終戦を迎えた主人公は、同期の北川に、彼がおなじ日本兵、しかも初年兵らしき男を射殺した話を聞かされる。生きることも、死ぬことも、おなじ虚無の中に放り込まれてしまっているような時代。そして生死に鈍感にならざるをえない状況。引用。《死んだのが日本軍の初年兵だとわかって、いやな気持だったか、などとは、ぼくは北川に言わなかった。くりかえすが、言ったってしょうがないもの。/ひとを撃ち殺したりするのに慣れていたせいもあって、というのではない。終戦まで、ぼくたちが中隊にいたあいだ、中隊ぜんたいでも、だれかを撃って殺したというようなことはなかった。/(中略)夢や幻想ではなく、事実だもの。しかし、事実だからこそ、事実そんなことがおこっただけというのはわるいし、そういう言いかたには、なにかゴマカシがありそうだが、事実、そんなことがおこったのだ。》敗戦の知らせを受けても、その虚無的な感覚は変わらない。《戦争が負けたときけば、だれだってある感慨をもち、思い入れの顔つきや言葉にもなる、それがふつうだ、と世間ではいうだろう。/しかし、だれだってそうかもしれないが、ぼくはなんともおもわなかった。くやしいとも、なさけないとも、逆にほっとしたとも、なんともおもわなかった。これからさきどうなるのかという不安もなかった。/ぼんやりしたわけでもない。へえ、負けたのか、と、ごくふつうにおもっただけだ。これも、ぼくがだれかとスモウをとって、負けたのではない。戦争に負けたということなのか、とおもったのにすぎない。諦観的というのでもない。とにかく、なんともおもわなかった。》