わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

クリスマスを考える

 八時三十分起床。クリスマス・イブである。だが結婚十年、子どももいないぼくら夫婦にとって、クリスマスとはイエス・キリストの誕生日以外の意味はなーにもない。ここ最近、意識してキリストやキリスト教に関わる小説を読んでみたのだけれど、信仰とクリスマスのイベントの関係を見つけることはできなかった。どうしてうかれるんだろう。宗教というからには、そこには救い、あるいは悟りの概念があるはずだ。ぼくは救いも悟りも世界のしくみを知ること、知識としてではなく魂で知ることなのではないか、なんて勝手に考えているのだけれど、そことクリスマスの関係がどうしても見えてこない。宗教には愛がつきものだ、その愛が男女のものに限定されたのがクリスマスの恋人たちのうかれっぷり、ということか。いや、むしろ外国ではぶじに新年を迎えられること、日本の正月の意味合いのほうが強くなっているとも聞く。だとすれば、クリスマスとはキリストの誕生を祝いながら、生まれたこと、生き続けられること、そして(男女が愛し合うことによって)新たな生をつくりだすことができることを喜び合う日、ということなのだろうか。うーん、よくわからん。まあ、歓びを理屈で語るなんて無粋すぎる。今は今年も無事にクリスマスが迎えられたことを素直に感謝しよう。
 午前中は年賀状の作成。ここ一年で取引先が急増したため、枚数も倍近くに増えた。大仕事である。
 午後からカミサンと外出。西荻窪の「三ツ矢酒店」で、埼玉・蓮田の酒蔵「神亀」の熟成純米吟醸酒「ひこ孫」を購入。日本酒を提げて駅前の「こけし屋」へ行き、ひょっとしたら開高健も、井伏鱒二も食べたかもしれないクリスマス・ケーキを購入。とんちんかんな組み合わせで荻窪の義父母宅へ向かい、カミサン家族とささやかなクリスマス・パーティー。しかし、その実態は鴨鍋である。鴨のダシを吸い切った野菜がうまいうまいとモリモリ食べ続け、「ひこ孫」の熟成酒ならではのコシのある味わいに舌鼓を打った。そこに義弟のLが、彼女のIちゃんを連れてやってきた。Iちゃんにははじめて会った。料亭の娘と聞いていたが、明るくて元気で、白いゴハンが大好きなおねーちゃんである。二十一時過ぎまでにぎやかに過ごす。笑いの絶えないクリスマス・イブを過ごせたのはひさしぶりかもしれない。
 帰宅後、酒の酔いが回った。つぶれてしまった。気がついたら花子が添い寝してくれていた。
 
 諸星大二郎『魔障ヶ岳 妖怪ハンター』読了。その昔、日本では神とはめぐみをもたらす一方、怒らせれば禍神にもなる存在だった。作者はそれを、人間がなんと名付けるかで神の人間に対する接し方が変わる、と解釈して物語を展開している。妖怪ハンターシリーズの中ではもっとも考古学的なのだけれど、ラストがちょっとパンチに欠けたかな。