わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

梅には曇天がよく似合う

 腰に負担をかけないこと。できるかぎり柔らかくほぐすこと。これらをここ数日心がけ、実践に実践を重ねたつもりだ。坐骨神経痛はずいぶん治まったが、まだ右尻や右腿の異和感は消えておらず、背中の痛みは悪化するばかり、頭痛はときおりひどい波となって後頭部を中心に攻め込んでくる。
 そんな状態でも仕事はしなければ。七時起床。午前中は書きかけのコピーを頭痛に耐えながらなんとかフィニッシュ。午後からは小石川のL社で打ち合わせを二本。
 雨である。激しい降りではない。かといって小雨霧雨とも言いがたい。傘は要る。しとしととゆっくり降り、静かに路面が、街路樹が、そして人びとの身体が濡れる。
そんな雨だ。小石川の桜並木に、雨の中電気提灯の取付作業が行われていた。桜祭りの準備らしいが、あの毒々しい人工的なピンク色が等間隔でつり下がっているのを見るたびにげんなりしてしまう。どうして花の美しさを損なうようなことをするのだろう。作業員の方々はどう思っているのか。雨の中の作業は大変だ、それだけのことなのだろうか。視点を変えてみる。マンションだらけの環三通りにぽつりと残されたように建っている一戸建ての庭に、白梅を見つけた。お稲荷様でも祀っているのだろうか、赤い祠の前にそっと植えられた梅の木は、土地の神様を祀るためのものなのかもしれない。静かな雨に濡れた木肌が黒々と鈍く光るっている。いや、周囲の光を少しずつ吸い取るようも見えなくはない。塀越しに姿を見せる、直径二十センチほどだろうか、決して太いとは言えない幹から枝が複雑に、一端下に下がりつつもグイと空に向かってまっすぐ伸びるように広がる。そこに、雨の中で梅の花が、不思議に輝きながらちりばめられている。黒い枝。白い花。そしてそのはるか先には灰色の雨雲。梅の花には、青空よりも雨空、灰色の雲が似合うようだと毎年思う。厳しい冬に突然現れた、春の兆し。曇天の白梅紅梅とは、そんなものではないだろうか。
 十七時、鍼灸院へ。先生に「過去最高に肩腰背中がひどいことになっている」と驚かれてしまう。鍼を五十本くらい打ち込まれた。多少楽になった。頭痛は消えたし、坐骨神経痛もナリを潜めている。しかし背中はまだ痛む。
 帰宅後は身体が怠くなってしまい、しばし睡眠。したがって読書はほとんどできず。