コミさんは何を書きたかったのだろう。父の伝記か、宗教論か。違う。論理や常識、感動、批判、協調、不和、そんなものを超越した、信仰という行為がもつエネルギーそのものを、父の生き様を通じて表現したかったのではないか。いや、表現という言葉も違う。作中、何度も「ただただアーメン」と繰り返していたように、ただただ、コミさんも信仰のエネルギーを放出してみたかったのではないか。この作品は、アーメン以上でも以下でもない。アーメンそのものなのだ。
大学生のころに一度読んでいる作品なのだが、オウム事件を目の当たりにし、また宗教というものについて多少は勉強をしたせいか、以前よりも深く読めたような気はする。けど、どうなのかなあ。