「暖かい髭」読了。六十六歳になってから庚申堂と呼ばれるお堂に籠って眠るという奇行を繰り返す父親を迎えに行く次男、樋内。眠る父と会話する樋内。親子の絆とは、いや絆という言葉ははばかれる、単純に「関係」とするべきか、ともかくその「関係」、親子の関係とは、案外こんなものかもしれない。そう思った。引用。
----では誰の子なんだ。
----俺が母さんと寝てこしらえた子だ。
----息子ではないか。
----それで息子というもんじゃない。
----ほかに何がある。
----父親に認められてこそ息子だ。
----認めていないのか。
----父親の死ぬときに決まる。
(中略)
父親の頭がゆっくりと起き上がり、目を剥いて睨みつけ、怒気が走りかけて口髭からゆるみ、両手をゆるくもたげるので、見ざる聞かざる言わざるの三猿の嘲弄かと樋内が構えると、手間のかかる奴らだ、と笑い出した。辻まで届きそうな声で笑いに笑ったあげくに、おこもりは今夜で仕舞いだ、と言って寝床から抜け出し、なぜ、と樋内が呆気にとられてたずねると、もう階まで出たのが振り返りもせず、お前が床を蹴って立ちかけたはずみに、あの世へ道がぽっかり開いた、息子殿のお蔭で、とそらとぼけたことを言って降りて行った。
辻とは分かれ道ではない。平行線を辿るように生きていたふたりが、はじめて交わる場所となることもある。だが、やはり分かれ/別れもやって来る。父は「あの世へ道がぽっかり開いた」と言った。それが息子を息子と認めるために必要な手順なら。そんな開き直り、いやある種の悟りが読める。歳を取ることとは、自分にとってだけのことでもいい、何らかの真理を見つけることなのだ。それが、樋内の父にとっては「血筋」のことであった。