文芸誌編集長、高校教師、樋口一葉好きの喫茶店店主の三人の款談。彼らは川端のエッセイに、文壇至上主義と権威主義を見出す。どうして川端批判なのかなあ、と思いながら読み進めるうちに、本作のタイトルの意味がおぼろげながらわかってきた。三人の会話のシーンの直前に挿入されている、インコ道理教の組織が教祖法王の下に法王官房、法王内庁、大蔵省、文部省、自治省、建設省…と、まるで疑似国家、というよりは国家ごっこを思わせるようなネーミングで構成されていること、そしてインコ道理教の幹部はほとんどが高学歴な者であることの不可解さに対する、ある老人の発した批判的な感想を引用。
〈そんなことは、少しも不思議ではない。たとえば、第二次世界大戦中の日本の内閣総理大臣・各国務大臣・軍各級幹部は、一流上級学校の秀才出身である。そのような「頭のいい連中」が、事実として、あの大東亜戦争という無茶苦茶をした組織(皇国)の是認者・安住者であったではないか。〉
インコ道理教イコール大日本帝国というのはいささか短絡的かもしれないが、この共通点は気味が悪くなるほど納得させられてしまう。
この作品、エッセイや論文でもよさそうな内容を、あえて「小説」という形で書かれている。小説であることの必然性、意味も探りながら読んでいきたい。