わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

東京藝術大学大学美術館・大正昭和前期の美術

 伝統や美術の世界の形骸化から抜け出すために四苦八苦した結果、豊かな表現的自由を得ることができた作家たちの作品、とでもいおうか。主題探しの迷路から抜け出せずにいる現代美術にはない、美しきものへのストレートなあこがれと熱意が感じられる。以下、気になった作品を。
長谷川潔「一樹(ニレの木)」「摩天楼上空のポアン・ダンテロガシオン号」「オランジュと葡萄」
 銅版画。モノクロームな表現によって日常を異なる視点から切り取り、異化することに成功している。
●松田映丘「伊香保の沼」
 沼である。そこに女が、足をひたしてしゃがみこんでいる。その表情は暗い。だが色彩は明るく、この上ない透明感がある。なのに、そこはどろどろな重たい空気と水と土に覆われているように見える。不思議な作品だ。
●高山辰雄「砂浜」(写真)
 濁った、暗く重たい色彩で、女子学生の切れ長の瞳だけがキラリと鋭利に光る。希望とは、このように表現されるべきではないか。
藤田嗣治「裸体」
 墨だけで描いている。なのに、タッチからフジタお得意の「乳白色」が浮かんでくるようである。触れたくなるほど柔らかな女性の肌。そこにはエロティックな感覚はない。あるのは、生命の神秘と神々しさである。
山本鼎「漁夫」
 人の生命と自然、双方の力強さの融和を、木版画で表現している。
小野忠重「市街・丸の内ビル街にて」
 人の気配がないのは、夜だからか、それとも滅びてしまったからか。木版画で都市が内包している不安を大胆に描いている。