わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

夜空ノ河ノ岸ノ向コウ

 七夕である。子どものころは毎年七夕が近づくと心がそわそわした。正月が来るよりもうれしい気分だったかもしれぬ。笹に願いごとを短冊をくくりつけるのが楽しみだったわけではない。むしろ願いごとを書くという行為がなんだかダサく思えてしかたなかった。色とりどりの短冊が風に揺れるさまもカッチョわるく見えた。竹が、いや自然の緑が好きだったからかもしれない。好きだという自覚はないが、濃い緑の葉が陽を透かすさまや葉音を静かに鳴らすさまには、いつも目や耳を奪われていた。だから笹に人工物がつるされるのが我慢ならなかったのかもしれない。クリスマスツリーもおなじ理由で好きじゃなかった。まあ、緑のことはどうでもいい。問題は七夕だ。おそらくは行事そのものにはほとんど関心がなかった。かといって、牽牛と織女のラブストーリーに心ときめかすほどマセていたわけでもない。漆黒の宇宙に天の川が広がる。光が水のようになって空を流れる。その両岸に、ひとがたたずんでいる。ただ、そのイメージだけが好きだった。だが、子供時代に晴れ渡った七夕の夜空を眺めた記憶はない。今夜も星空はおがめそうにない。
 七時起床。午前中から外出。神田、竹芝とまわり、夕方に帰社/帰宅する。
 夜は某保険会社のWeb サイト企画に没頭。
 花子がさっきからスネている。呼んでも顔を上げず、メンドクサソウにしっぽを動かすだけだ。朝から夕方までずっと家を空けていたせいだろうか。