「合掌」読了。弟の死の記憶から十三回忌の様子までを、語り手は曖昧な記憶を、曖昧な部分は曖昧なままに、そして自然に思い出す流れにまかせて書きつづる。それは、必死になって思い出そうとするといった種類のものでも、思い出すままにゆるやかに書き連ねるような余裕あるスタイルのものでもない。作者は思考のうねりを受け入れながら、そのうねりとうねりの間に隠れたなにかを見つけるために、うねりをうねりのままに書きつづける。書きたいことがあるから書くのではない。伝えたいことがあるから伝えるのではない。ひょっとしたら、自分には伝えるべきことなどないのかもしれないし、あるのかもしれない。それは、書いてみなければわからない。だから、書く。書くしかない。そんな、自由な開き直りが高度なレベルで作用することで生まれた奇跡のような作品。ぼくにはそう読めた。