わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

小島信夫『月光|暮坂』

「落下の舞」読了。妻の死に落胆する米吉氏の姿に、じつは語り手=作者は深く共感しているのではないか。そして、そこに至るまでの拡散しっぱなしな状況説明は、その構造自体が作者の存在のメタファーとなっているのではないか。そーんな読み方をしてしまった。
ブルーノ・タウトの椅子」読了。語り手K(おそらくは小島自身)が、高崎にできた椅子の博物館(を含んだ大きな美術館)の開館式に行く、というだけのお話。おそらく三十枚くらいの短編だというのに、やたらと登場人物が多い。そして彼らはみな強すぎるほどの信念をもっていて、その集合体としての人間関係はあやういながらもギリギリのところで絶妙なバランスを保っているように見える。紹介の流れも描写そのものもどこかチグハグでトンチンカンなのだが、そのせいか妙なリアルさがある人間関係なのだ。そして、タウトの椅子の設計図。これは確かに存在したもので、それをもとにつくられた椅子も確かにあるはずなのだが、読み進めるにつれてどんどん幻のように思えてしまう。ラストでは、タウト自身が日本という国に飽きてしまい、イスタンブール(だったかな?)に行ってしまった、だからタウトとは幻だ、といったことが書かれている。そして、その椅子が置かれているはずの椅子の博物館については、まったく中身が描かれていない。ようするに、これは意図的に幻のまま。なんだか、モノとは幻であり、確かにあるのはニンゲンとニンゲンのトンチンカンな、表層的には理解不能なつながりだけなのだ、などとつい考えてしまう。そんな作品でした。