わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

交替

 七時二十分起床。夕べは十二時過ぎまで仕事した。さすがに起きれん。
 雲は多いが、晴れ空が拡がっている。小春日和。
 打ち合わせの予定もなく、ただ地味に仕事。久々にジャズの名盤をBGMにしてみた。Bill EvansSonny Clark。Evansのピアノは静かに熱い。Clarkのピアノは、ただただユルい。

Waltz for Debby

Waltz for Debby

Portrait in Jazz

Portrait in Jazz

Cool Struttin

Cool Struttin

 午後、カミサンは個展会場へ。ひとり残って作業をつづける。猫たちはみな昼寝。
 十六時、鍼灸院。ようやく先生から「もう大丈夫」のお墨付きをいただいた。西友、生協、図書館に寄って帰る。図書館では、予約しておいたBrian Enoの「The Shutov Assembly」を借りた。帰宅後、仕事しながら早速聴いてみる。音のひとつひとつはきれいなんだけれど、それがより集まると、暗くて湿っていて深いところから鳴っているような気がする、そんな曲が多い。ジャケットを見たら、収録曲が全曲ともアルファベット9文字だった。
Shutov Assembly

Shutov Assembly

 帰宅後は、目を覚ました花子と麦次郎がリビングで、書斎で、と交互に鳴きつづける。麦次郎が大騒ぎすれば、仕事の手を休めて慌ててリビングに行く。すると花子が書斎から、ふーにゃん、ふーにゃん、と情けない声で呼ぶ。書斎に戻れば、今度は麦の、なーん、なーん、だ。良好な関係を維持できなくなってしまった二匹の猫の家庭内別居に、飼い主のニンゲンが振り回されてしまう。だが、仕方ない。ひとがドウブツと暮らすということは、こういった事態への対処も含めてのことなのだ。
 写真はぼくを呼び疲れて眠くなってしまった花子。