わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

深大寺へ

 九時起床。もっとも、七時ごろにドウブツゴハンのため一度起きている。
 冬晴れ。いくぶん強めの風は冬の鋭い冷たさを含んでいる。吹き抜けざまに、キンと身体を冷やしていく。
 午後はドウブツたちには留守番してもらうことにし、カミサンと深大寺まで足を伸ばす。気軽に自然を楽しめ、仏教文化にも親しむことができる近場としてここは気に入っている。水も豊富で、流れる清流の音を聞いているだけで心がデトックス状態。
「湧水」というそば屋で、もりそば、野菜天ぷら、山菜の小鉢と日本酒で昼食。熱燗でほろ酔い気分。また正月まで日付が戻ってしまったような、わずかな怠惰さを含んだ感覚にだらだらと酔いしれた。
 酒の入った身体で深大寺を詣る。天台宗の寺である。まだなお初詣での参拝客は絶えぬようで、本殿ではさかんに護摩焚きがされている。かなり時代の古そうな毘沙門天多聞天)の木像があった。毘沙門はここの開山の祖の転生らしい。妙にカップルが多かったが、ここは縁結びの仏としても名高いらしい。
 神代植物園へ。冬枯れの植物園など観るところはなさそうに思えるが、落葉しきった木々の枝の分れ具合や芽吹き具合を楽しむのは意外にも楽しい。葉が落ちれば春夏以上に鳥の姿がよく見えるというメリットもある。ツバキは盛りを迎えたものと咲くタイミングを見計らうようにつぼみを膨らませているものが半々程度。梅はまだのようだが、ロウバイが盛りを迎えていた。黄色い華奢な花は、おなじく華奢だがどこか梅の花の力強く高貴な香りをも含んでいるようで、紅梅白梅の咲き乱れる姿がいっそう恋しくなった。

 ほか、気になったのはユリノキが残していたたくさんの花の萼。それがみな天に向かって伸びながら枯れている。枯れてもやはり花であり、どこかに美しさは潜んでいる。その姿を冬の澄んだ青空がすっぽりと包みこむ。

追記
 気になったので調べたところ、ユリノキが花咲くのは6月ごろだという。どうやらぼくが萼だと思い込んでいたものは、萼ではなくてわずかに残った葉の、成れの果ての姿らしい。カエデやもみじのようにぎざぎざと五つに分れる形の葉は、枯れるとニンゲンが指をすぼめながら手を閉じるようになる。


 吉祥寺まわりで、「ロヂャース」で猫缶を買ってから帰った。