わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

香り重なり

 目覚めると、まず窓のほうへ目が向かう。割れたときの飛散防止のためなのか、格子状になった針金を入れ込んでいる岩目調のガラスからは外の様子など見えるはずもないのだが、それでも窓へ目が向かう。近ごろは、景色よりも結露が気になる、それゆえの習慣だとも言えそうだ。昨日よりは少ない。ということは、外気と部屋の中の温度差がさほどないということになる。結露がなくなる日も近いか。冬場のみの日課となる窓の結露拭きの苦行から解放されると思うとうれしいが、暖冬という言葉がもはや挨拶のようになっている今の状況と地球温暖化のことを考えると、そううれしがっているわけにもいかない。
 冬らしい冬が恋しい。
 
 早朝より仕事。某保険会社のパンフレットのアイデア出し。なぜか保険・金融関連の仕事が増えている。仕事ついでに勉強して、金を貯めるなり殖やすなりしておけ、という神のメッセージだろうか。そんなことをつい考えてしまう。
 午後より、小雨がぱらつく中を、吉祥寺の「リブロブックス」へ。保険会社の案件のために資料としてムック本数冊を購入。ついでに「カルディ」でアンバータイプのメイプルシロップとアルファルファの蜂蜜、「ロヂャース」で猫缶。
 帰宅後も保険会社の案件。義父母、うちで預かっていた和装を引き上げにやってくる。花子が騒ぐといけないので、ぼくは書斎で花子を拉致。その隙に和室のタンスから持ちだしてもらった。あさってはこれを着て義弟の結婚式。

十九時、煮詰まった(のと花子がうるさくてまったく集中できなくなってしまった)ので散歩へ。西の空に上弦の月が浮かんでいる。日中は空を覆い尽くしていた灰色の雲はちぎれちぎれになり、妙に明るく力強い三日月の光に照らされている。雲の切れめからオリオンが、月光に負けそうになりながらか細い光を放っているのが見えた。ぼくが夜空でカタチを確認できる数少ないうちのひとつであるこの星座とも、もう少しでお別れか、そんなことを考えながら歩いていると、ふと懐かしい香りが鼻を突く。沈丁花だ。なぜ懐かしさを感じるのかがわからない。ただ、なぜかこの香りに女性の姿を思い出す。それが誰なのかもわからない。実家の近所や学校などに沈丁花が咲いていたという記憶もない。ひょっとすると、ぼくの無意識が勝手につくりあげた妄想的な記憶なのかもしれない。その、曖昧な記憶をゆさぶる鮮烈な香りに、梅のかぐわしい香りが重なる。香りを発する梅は紅梅二本で、両方とも月明かりに照らされて妖しく、しかし儚げに輝いていた。沈丁花の香りの記憶が、これのせいでまた変わるのだろうか。だとすれば、来年の今ごろにその香りで思い出すのは誰か。ふと、そんなことを考えた。