わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

花見見

 九時起床。「サンデージャポン」を観てからカミサンと義父母宅へ。おべんとうを持って、桜の花の満開の和田堀公園へ。
 ソメイヨシノはちょうど盛りを迎えていたらしく、午後からは少々強い風が吹くたびに桜吹雪となって花見客の頭上やお弁当の上に舞っていた。義弟夫婦も合流。後半は花見というよりも、吉田戦車のマンガにもあったが「花見見」、つまり花見するひとたちの様子、誰と来ているのか、何を喰っているのか、何を飲んでいるのか、酔っぱらっているのか、もうつぶれたのかといったことにばかり気を取られた。犬たちがあちこちで親交を深めあったりケンカしたりしている。道端でウンコやしっこもしている。母親があちこちで乳児のおむつを取り換えている。おっさんが便所でゲロを吐いている。
 山吹の鮮やかな黄も目に付いた。ハナニラの可憐な白や紫にも心奪われた。だが、桜の吸引力には叶わない。あのわずかに桃色を帯びた玄妙な色合い、そしてほんのわずかな時間で盛りを過ぎ、気づけばはらはらと舞い散っているその儚さに惹かれるのだろう。どうしてひとは壊れやすいものに心奪われるのか。

 帰宅後はリビングで麦次郎を膝の上に乗せたり書斎で花子をだっこしたりしながら、テレビ東京の大食い選手権を見た。女性版。参加者がみーんな華奢な体つきなので驚いた。おそらく、肉がつきにくい体質なんだろうなあ。底なしの胃袋、肉にはならないという身体をもった、神に大食いを許された女たち。