わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『槿』

 作品は女との出会いから、さほど仲よくもなかった友人の通夜、そして杉尾の日常の描写へとつづく。どうやら杉尾は古井が自己投影されたキャラらしく、作家という設定になっている。
 風邪を引いたものの熱は出ず、だらだらとわずらう感覚を感じつづけながら日々を過ごし、熱が出たかと思えばたちまち引いた。その後、通夜でも同席した友人が、肺炎でしばらく寝ていた、と電話をよこす。そして、躁状態での長電話。その電話のあとの描写と狂気についての考察にドキリとしてしまった。引用。

 夜更けに一人になり、杉尾は繰り返し身の内の苦痛を探っている自分に気がついた。そのつど痛み疼きの影も今のところないことを確かめて安堵していた。そのうちに苦痛のない状態が、それ自体すでに恍惚のように感じられてきた。無痛が質感を帯びてほのかに光る、そういう幻覚を造り出すのが最高の麻薬かもしれないぞ、と埒もないことを考えたりした。一日中、芯が躁いでいた。それだもので、平生よりも腰を落ち着けて仕事に向かい、家の者たちには頼もしげな口をきいていた。
 恐いのは抑鬱などではない。狂躁こそがおそらく、真に陰惨な相貌をしている。