わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

エアコンと扇風機/選挙の前に

 東側のリビングにつながる和室で麦次郎と寝ているカミサンは夜にこもった生活の熱気と朝の陽射しの暑さに辟易して、ここ数日エアコンを付けて寝ているようだが、北西の書斎兼寝室で花子と寝るぼくは、まだ扇風機だけでしのいでいる。朝起きると、パジャマの首が汗でくたくたになっていることが増えてきた。しかし、明け方の冷え込みが部屋まで染みるのか、猛烈な不快感で目を覚ますようなことはない。むしろ、毎日の習慣で六時には目が覚める。仕事をする予定はあるものの、基本的には休日なのだから、まだ起きることはない、と布団の上でねじれたタオルケットに身体をからませながらウダウダしていたら、花子が起こしに来た。規則正しい猫だ。暑さ寒さに関係なく、決まった時間に起きてくる。ただし、朝だけ。日中は気ままに眠ったり起きたり。
 午前中は掃除と買い出し。午後より仕事。某ウェブサイト企画。月曜のプレゼンのための最後のツメ。
 十六時過ぎ、目処が立ったので終了。夕方は西友まで歩く。陽が落ちてからの暑さの籠り具合にこそ、夏の過酷さは潜んでいると思う。日中の身体を焼く陽射しよりも、眠りをさまたげるこもった熱とよどんだ空気のほうがよほど身体にはこたえる。今日の夕方は、風があるのに熱がアスファルトの上でよどんでいた。ココナッツミルク、安くなっていたアディダスのTシャツなど購入。
 夕食はグリーンカレー。市販のペーストを使ったのでカンタン。食べながら、録画しておいた「アメトーーク」を観る。ブッチャーブラザーズの子供たち。ぶっちゃあ伝説に爆笑しつつも、いちばん面白かったのは次回予告だったりする。ケンドーコバヤシプロデュース「徐々の奇妙な芸人」。楽しみ!

 さて、近ごろ思うことを少々。明日は選挙である。ちまたではやたらと「選挙に行こう」「あなたの一票を大切に」と叫ばれている。各自治体とも、投票率アップのための告知活動に躍起になっている感がある。状況はといえば、新聞などマスメディアの独自調査などによると、自民劣勢・民主優勢なのだそうだ。しかし、と思う。自民党に政権をおりてもらいたいと願うひとは本当に多いかもしれぬが、民主党にぜひ政権を、と思っているひとはどれくらいいるのだろうか。案外、選択肢がほかにないから、まあ民主党なのだろう、その程度の投票動機なのではないか。今日は某野党の事務局から、二度も「比例代表はぜひわが党に、地方区もぜひわが党の候補に」という電話が来た。その程度で投票するような票が、本当にほしいのだろうか。一票であることに確かに変わりない。しかし、その一票が確実に民意を反映しているか否かに、もっと注目すべきではないのか。言われたから投じた程度の一票に、世の中を変えるチカラがあるなどと到底思えない。むしろ、そんな浮動票こそがおかしな風潮を生み出し、あるいは歴史の流れを誤った方向へ動かしかねぬかもしれないのだ。投票率を上げることはすばらしい。だが、もっと民意を反映できる選挙システムというのを実現することはできないのだろうかと、ぼくは選挙のたびに思う。たとえば、投票用紙に「ほかに当選してほしい人がいなかったから、仕方なくこの人/政党を選びました」欄を設ける。この欄は当否に直接関係はないが、キチンと集計され、公表される。あるいは、一票を投じたい候補者がいない、誰も選びたくない、というひとのために、「適格者なし」という投票を認める。おそらく一位当選者より「適格者なし」のほうが投票数は上回るのではないかと思う。こうした数値を見れば、政治家/政党はより真剣に生活者のほうを向くはずだ。