わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

朽ちるということ

 昨夜、テレビでCXの「本当にあった怖い話」(だっけ)を観たせいだろうか、おかしな夢を観た。数年前に亡くなった従兄の次女の霊が出てくる。でも、従兄の子どもに次女はいなかったんだよな。お姉ちゃんと弟、ふたり兄弟。従兄本人は登場せず。
 六時四十五分起床。小雨。早めの秋雨か。秋雨は長い。当分のあいだ、お天道さんは拝めないらしい。
 日中はMacのトラブルシューティングに追われっぱなし。予備機のPalmとアドレスデータを同期させたら、全部文字化けしてしまったのだ。詳細別項。
 十六時、霞が関で打ち合わせ。外務省前の桜並木の木肌には、まだたくさんの蝉の抜け殻が付いたまま。地面に落ちるのか、それともそれより先に風化してしまうのか。いずれにせよ、日を浴び雨風に打たれつづければ、やがては朽ちて土に還る。まだなお地中で眠りつづける他の蝉たちを優しく覆う土となる。力尽きた蝉たちの死骸もおなじだ。今はアスファルトの上であお向けになっているが、やはりいつかは土となる。朽ちるとは、自然の変化にその身をすっかりゆだねきることなのだと思った。その身をゆだねる……身だけではなく魂もゆだねるのだろうか。ゆだねきり、姿をなくし、形や感覚、すなわち存在への執着をなくしたところで、魂も朽ち、あの世へ帰る。
 十八時、小石川で打ち合わせ。二十時三十分、帰社/帰宅。