わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

堀江敏幸『郊外へ』

「動物園を愛した男」。衝動的にバスに乗り「ぶらり途中下車の旅」状態になった主人公は、パリ郊外のヴァンセンヌで下車し、カフェでビールを飲みながら、古書店で購入したマルカム・ボースという作家の『動物園を愛した男』という推理小説を読みふける。作品世界をたどるべく動物園に行きビールを飲みながらドウブツ観賞を決め込んでいた主人公は、キリンに逆に(?)見つめられ、たじろいでしまう。ちょっと面白いシーンだったので引用。

 いったい私はなんのためにこんなことをしているのか。キリンたちは塀のむこうで呑気にビールを飲んでいる小柄な東洋人を、売るんだ黒い瞳で見るともなく追っている。たぶん私は、この問いにたいする解凍を永久に繰り延べるために目的のない散歩を反復し、中心に触れぬまま周縁をへめぐるバスに乗って逃げ回っているのだろう。だが、本当に面白いものは中心ではなく、「へり」にある。中心から目を逸らす行為にこそ快楽がひそんでいるのだ。
 誰にたいするものでもなくそう弁明したい気持ちになった瞬間、目の前のキリンとふいに視線がかちあった。私はまるで初々しい少女に見つめられたかのように、いくらか頬を紅潮させて思わず目を逸らす。キリンに見つめられて目を逸らすというのは、なんとエロティックな体験なのだろう。柄にもなく真面目な自省を重ねたあげくのはてに、私はもうそんな下卑たことを考えていた。