わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

体を流れるもの

 六時三十分起床。曇天。
 花子は絶好調。朝ゴハンもしっかり食べてくれた。
 某IT企業PR誌、某金属メーカー会社案内など。近ごろ、座りっぱなしで作業することが多いので、少々シリアナの調子が悪い。先日胃のレントゲン検査をして以来、ずっと不調がつづいているのだ。おそらくバリウムで便が固くなり、それが肛門を傷つけたのだろう。病院で処方してもらった薬を使ったら恢復しはじめたが、それでもまだ排便時に痛む。おかげでウンコに要する時間がいつもの二倍に膨れ上がった。肛門の痛みをごまかすためにゆっくり出しているのだが、実は長グソは痔によくないのだという話を聞いたことがあるのだが、だからといって今さら早グソはできない。だって痛いんだもん。ゆっくり出すしか方法がない。悪循環に陥るのだろうか。いーや、大丈夫。たぶん。
 病やケガに苦しむと、人間が血と肉と骨でできていることを痛感させられる。そしていつもはつい忘れがちなのだが、血管に血が流れるのとおなじように、神経にも感覚というモノが流れていることも思い出させてくれる。痔で肛門の神経が過敏になったおかげでこんなことを書いているわけだ。血管には血が流れている。神経には感覚が流れている。そして、大腸にはウンコが流れている。それが肛門で出にくくなれば、立派な切れ痔だ。ウンコに紛れて、血管に流れる血が肛門から滲みだす。痛みが肛門から脳へと駆け上がる。
 ここまで書いて、そうだニンゲンの体には血液や感覚のほかに「気」も流れているよなあ、と気づいた。肉体にばかり気持ちが向かいすぎるのは危険だ。気だのあの世だのにばかり心を奪われるのは、それ以上に危険だが。

 十五時、麹町の某制作会社へ。某官公庁の案件の打ち合わせ。
 十七時過ぎ、帰社/帰宅。MX-TVの「5時に夢中」にピエール瀧が出ていた。へーんなの。