わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

花子の恢復と信頼/実家へ

 八時起床。花子、かなり恢復した様子だが、ほんのわずか、たとえば気づくと枕元で背をぼくの頬にぴたりと寄せて眠っていたり、と、そんなしぐさに、病気にたいするちょっとした不安の澱のようなものを感じてしまう。昨日の症状のつらさを覚えているのだろう。ぼくらニンゲンは、医師に処置してもらったり薬を服用したりすれば、医師なり薬なりを信頼することで症状にたいする不安を払拭することができる。だが、ドウブツにそれはできない。ただただ、自分自身と飼い主を信じるしかない。ドウブツたちに医療という行為を理解させることはできない。だが飼い主は、医療の先にある恢復を「希望」という形で感じさせることくらいはできるのではないか。それこそが、ドウブツが病に臥したときの飼い主の役割だと思う。
 今日はぼくの実家に顔を出す予定だったが、花子が完全復活しているわけではないので、カミサンが留守番しつつ花子(と健康でグータラな麦次郎)の面倒を見、ぼくひとりだけで帰省することに。いつも日帰りだから気は楽だ。到着後、せがまれていたケータイの機種変更をしてやり(ぼくが契約したものを与えている)、実家で妹夫婦といっしょに軽く新年会。ところが、ぼくと父親が喧嘩になってしまったのでぼくは早々に退散した。アタマに来たからではなく、胃がんの手術後、決してよい体調ではない父を激昂させるのは健康面でまずいと思ったから。まあ、意固地になっていた父といっしょにいるのが悲しかったから、というのもあるのだが。案の定、ぼくが帰ったらすぐに機嫌がよくなり、帰宅後に電話したらケロリとした声で応対していた。
 花子、小分けしたドライフードばかり食べるのに飽きたらしい。夕食がわりに、ほんの少しだけ鶏のささみを与えた。今のところ、問題なし。