「波を待って」。家族とともに夏の海に訪れ、ひとり砂浜で物思いに吹ける五十代らしき既婚女性。月経のこと、自分の存在感、夫の肉体、夫の中年サーファーデビューなど、思いは転々としてゆく。
夫の背中(肉体)に関する描写がちょっと面白かったので引用。
押せばまだ、はねかえされる、夫の背中のまぶしい弾力。いのちというものは、弾力のあるものだ。押せば、はずみ、こちらを押し返す。そのとき、亜子は、蛤の力を思い出していた。つい最近、潮汁をつくったことがあったのだ。火にかけた鍋のなかで、蛤たちが、次々と口を開くのを亜子は待っていた。いよいよというとき、おたまで鍋のなかをかき回そうとすると、ちょうど、ひとつがぱくりと口をあけ、亜子がぼんやりと握っていたおたまを、ぐいと上に押しやった。そこ、どいてくれよ、というように。亜子は驚き、その柔らかく決然とした拒絶の力に、自分の命が押し返されたように思った。それは驚くほど官能的な感触だった。
夫の背中には、あの貝と同じ弾力があった。
もっとも、貝が何かを押しのけて開くとき、それは貝の、死ぬときである。だがその死は、亜子の目にほとんど生の絶頂に見える。死んだ貝は、沸騰する湯のなかでさえ、決して口を開くことはない。一方、生きている貝の生は、貝が開く直前、波のように盛り上がり、沸騰点に達する。そしてついに、開かれた死のなかへ、烈しくおだやかになだれこんでいくのだ。夫の背に見えたものも、死を内包した、生の絶頂の輝きなのかもしれない。正面に回れば、おそらく彼に忍び寄る、老いのきざしが見えるはずだ。白髪は増え、皺もたっぷり刻まれている。ところが、あの背中はどうだろう。悲しいようなあの艶を、おそらく本人はまるで知らない。
- 作者: 小池昌代
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/07
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