わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

小池昌代『タタド』

 「45文字」。編集プロダクションを立ち上げた友人・横山との偶然の再会がきっかけで、彼の家に泊まり込んで美術全集の写真キャプションの原稿作成をすることになった主人公、緒方。タイトルの「45文字」は、キャプションの総文字数のこと。この作業の描写、とても共感できる!ということで、引用。フェルメールの巻のラスト。緒方は傑作「牛乳を注ぐ女」のキャプションを書いている。

 おい、もっと壺を思いっきり傾けろよ。ミルクを一気についでみろよ。緒方は眺めながら、女性を挑発し、彼女に放埒な行動をおこさせてみたくなる。だが、その声は無力だ。絵の中に届かない。女ときたら、まるで注ぐミルクが、自分の感情ででもあるかのように、鍋とその周辺に、注意深い視線を落として黙っている。何を考えているのか、感じているのか。伏せられた目から、推察することはできない。胸がかすかにふくらんでいるが、いくつくらいなのか。おでこが丸く秀でていて、たくしあげた袖から、ミルク壺を支える、筋肉質のたくましい腕が見えている。いかにも、よく働きそうなその腕や衣装から、女性の身分が、女主人や娘でなく、女中であることがみてとれる。
 こぼれる牛乳はよれている。よれながら、下降している。その力。その引力。
 キャプションはなかなかはかどらない。
「静かにミルクを傾ける女。絵のなかで、こぼれ落ちるミルクだけが永遠に生々しい。」消して直して、これで三十八文字。
 あと七文字分。引力という言葉を使いたかったが、うまくはめこむことができない。