わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ぼんやりとした痛み/二人のおっさん

 芥川は「ぼんやりとした不安」を感じていた。一方、ぼくは「ぼんやりとした痛み」を感じている。尻に。昨日はほとんど痛まなかったのだが、今日はじわり、と痛みが肛門から腹を通って胸を通って首を通って口まで抜ける、そんな感覚にとらわれた。自分のバカな想像力が感覚を増幅しているだけなのかもしれぬ。が、日記を書いている今も、尻はぼんやりと痛い。その痛みを、口からはき出したくなる。
 六時三十分起床。今日も暖かい。桜があちこちでバンスカと咲いている。それをかたっぱしから、ヒヨドリたちがむしり取る。花が、花びらではなく花全体が、茎からちぎれてアスファルトの上に落ちている。蜜を吸った後で、ちぎって遊んでいるのか、それとも。ヒヨドリの中には、つぼみを食うアホもいるらしい。あの、ずず黒くアタマのてっぺんがボサボサになった、両腕(正しくは羽根だけど)をだらりと下げた姿勢で木に止まる街鳥がつぼみを襲うさまは、変質者の幼女暴行のように思えなくもない。まあ、これは勝手な想像だ。ヒヨドリからすれば、ヘンタイ扱いされて迷惑千万だろう。
 ヘンタイ扱い、で思い出した。小学、中学のころは、ヘンタイと言われるとすごく喜ぶヘンなヤツがいっぱいいた。が、これについては後日。
 某不動産会社の会社案内、某運輸会社の企画など。午後より新橋へ。H社のP氏と某運輸会社へ。販促企画のプレゼン。まあまあのでき。
 帰りの丸ノ内線で、ひとりごとを延々とつぶやくおっさんを二人も見かけた。正確には、二人も隣に座られた。一人目は小柄で典型的なジャパニーズサラリーマン、という感じの人。考えていることがダダ漏れ。駅で配っているパンフレットを見ながら何だかよくわからんことをしゃべり続けていたが、気付いたらどこかの駅で降りていた。あ、いなくなってる。安堵していたら、今度は隣に老人が腰掛けてきたのだが、この人もひとりごとがすごくて辟易した。思考ダダ漏れ型ではなく、目の前にいる誰かに語りかけているように見える。ぼくの霊感がもうちょっと強かったら、そこにユーレイが見えたかもしれない。
 十六時、帰社/帰宅。一休みしてから、某不動産会社の会社案内をバリバリと。
 Hさんからメール。仕事、がんばってるみたい。