わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

小阪修平『現代思想のゆくえ』

 時代/歴史と個人の乖離、といったことが問題とされているのだが、小阪はその要因を個人の多様性(「個別性」という言葉が使われている)に見出しているように読める。だが、ぼくは歴史と個人は乖離しているのではなく、理念が不在となった結果、存在の拠り所を失ってしまった、しかしその事実からダメージを受けることなく、存在意味の追求といった生き方から楽しさ、おもしろさを追求する生き方へシフトした人間の、理念が不在であるゆえに(オタク文化やメガヒット不在の音楽業界などに象徴される意味での)多様化してしまった嗜好性だの個性だのがかろうじて歴史を支えているようなイメージを抱いた。そんな状況だからこそ、多様性だのカオスだの差異だのに価値を見出し社会的に機能させようという動きが、たとえばP&GとかINGとか、一部の(いや、大半の、と言ったほうがいいか)グローバル企業などで現れはじめているのかな、なんて思った。となると、9.11は理念が暴走したのではなく、人間の多様性や多義性の一部が暴走した結果だったのかな、とも考えてみたり。いずれにせよ、歴史は人間によってのみ構築される。どんなに乖離しているように思えようが、関係は決して断絶されてはいない。問題は、その関係性をどう読み取るかだ。生半可な読み方で、世界を語ることなんてできないから……と、生半可な知識と覚悟で、こんな感想を書いてみた。

現代思想のゆくえ

現代思想のゆくえ