読書新聞?に連載されているらしいエッセイの単行本化。すでに三巻目まで出てるんじゃなかったかな。これはずっと前に古本で購入した。
購入したときは、どうして回送電車なのかと思っていたが、その理由は巻頭の序文的なエッセイにしっかり書かれていた。無人で駅をぶっ飛ばしていくあの妙な列車に、堀江は昔から惹かれていたのだという。その理由がおもしろかったので引用。
回送電車の魅力は、部外秘のダイヤグラムに沿った隠密行動の気高さとは裏腹に、急ぎの客にはなんの役にも立たず、しかも役立たずだと思われること自体に仕事の意義があるという、考えてみれば至極当然の逆説に依拠しているのではないか。誰にも関心をもってもらえぬまま決められた時間に敷かれたレールのうえを滑っていく、いわば義務づけられた余裕とでも呼ぶべき甘美な倒錯がここにはあるのだ。こうした倒錯をもたらす要因のひとつは、前も後ろもなく、ときにはまったく異種の身体をあいだに挟むことも可能な、つまりタクシーやバスには望むべくもない肯定的な寄生である、一見不自由そうな鉄路だけに許された双方向性にあるだろう。
こうした地味な役割にこそ、本質としての自由が潜んでいる、ということか。回送電車は、車庫だかなんだか、その目的地に行く(戻る、というべきか)という義務以外の何者からも束縛されていない。
そして堀江は、自ら自分の文学のテーマであるという「居候」というコンセプトと回送電車の共通点を見出す。
特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつはわたしが漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分にほど近い。評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルのなかを単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ。
居候。なるほど、先にぼくが書いた「義務以外の何者からも束縛されていない」という点は、居候という立場にも言えるかもしれない。居候のほうが、義務が大きいと思うけど。義務というよりは、プレッシャーかな。
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