狂気の大祈祷会の最中、米軍機の攻撃を受けて沈没する「橿原」。しかし、主人公と現代からタイムスリップし鼠になってしまったニートの青年、通称「毛抜け鼠」の、一人と一匹だけが……。
『『吾輩は猫である』殺人事件』からつづくSFミステリの流れにあるのかと思ったが、むしろ戦争の不条理と兵たちの救われぬ魂を描いた『浪漫的な行軍の記録』の世界に近い。神秘主義や男色、ハラキリといかがわしいアングラネタのオンパレードではあるが、本作が平和への賛歌であり、生命の賛歌であり、そして病みきった、滅び行くようにも見える現代日本に対するエールでもある。文学という分野において、希望や夢を否定するのはヘソノゴマをほじくるくらいたやすいことだ。だから多くの作家が、それをやる。だが、奥泉さんはそんな風潮から真っ向反対したかったのだろう。しかし、愚直に夢や希望を語れば、そんなものは一昔前の(いや、現代もか)フォーク的ポップソングや情熱友情努力と魔法拳法必殺技の飛び道具でストーリーの展開するマーケティング至上主義的少年漫画とさほど変わらなくなる。緻密な歴史検証、卓越した描写力、壮大な物語構成力でもって、夢と希望を語る。これは、実はあたらしい手法なのではないかと思った。手法だけではない。文学的価値も高いと思う。奥泉さんの作品は『バナールな現象』が最も完成度が高いと思ったが(好きなのは『鳥類学者のファンタジア』と『浪漫的な行軍の記録』だけど)、うーん、本作のほうが数段上ではないだろうか。
ちょっとだけ引用。まずは戦死した日本兵の亡霊たちと「橿原」の乗組員の会話のシーン。タイムスリップし、未来、すなわち現代の、敗戦国として発展した日本をこの目で見たという根木の話を、戦死した特攻隊員・桜井は否定する。しかし……。
桜井 負けて、どうして日本があり続けることができる? 負けた日本がなぜ存続できるんだ? いや、かりに存続したにしても、それはもはは日本ではない。オレたちが命を捧げた日本じゃないはずだ。
根木 それでも日本なんです! どれほど変わり果てようと、自分の子供が子供であるように。
桜井 平気で負ける子供などは勘当だ。
毛抜け鼠 カンドーって、なんか古くね? 時代劇かよ。
桜井 そんな子供は親が殺すべきだ。生き恥をさらすくらいなら、殺してしまうべきだ。
根木 未来を……許して下さい。負けた未来を許してあげて下さい。
桜井 許す?……何をだ?
根木 日本をです! 日本の未来をです!
桜井 オレたちのことを覚えてもいない未来をか?
根木 そうです!
桜井 平然と的の軍門に降ったあげく、オレたちをこんな荒れ野に放置したままにしておく未来をか?
根木 ……そうです! 我々が許さなければ、我々はいつまでも未来と断ち切られたままでいなければならない。
どうしても日本が負けたことを受け入れられない桜井をはじめとする死者たちは、「橿原」を、海の底にあるというタカマガハラに向かわせようとする。目の前から消えた使者たちを見届けた根木は、その場で服毒自殺してしまう。ただ一人残された、現代人である「毛抜け鼠」は根木の死体に向かって語りかける。この台詞に、本作のエッセンスが凝縮している。
(前略)軍人さん、死んだわけ? てえか、軍人さんも、見捨てたわけ? 未来を。日本の未来を。ぜんぶ贋物ってことに結局なったわけ? 贋物で片付けるってことに? けど、そりゃねんじゃねの、マジな話。あんまりじゃねの、っていうかさ、べつに贋物でいいじゃん、この際。未来の日本が贋物って、それでオッケーじゃん。ありじゃん。それも逆にありじゃん。なにが悪いわけ? バッタもんのブランドバッグだって、実際使えるし。結構丈夫だし。てか、戦争がずっと続くんだったら、バッタもんの方がよくねえ? そっちの方が、荒く使えるっしょ? 汚れてもいいし。なにもホンモノだけが戦争するわけじゃないっしょ? てか、オレ、なにいってんの? 意味分かんねー、って、とにかく贋でもなんでもいいから、生きねえ? 生きてみねえ? って、だったら、まずオレが生きろっての。戦争だろうがなんだろうが、生き抜いてみろっての。オレ、生きて、そんでもって、誰かに会いてえ感じがする。(中略)あと、話すだけじゃなく、人といろいろなことがしてみてえ! 猛烈してみてえ、って、なんでオレ泣いてるの? なんで眼から涙があふれるわけ? オレ、もしかして、いまやボーダの涙ってやつ。あるいは号泣? でも、ボーダって、マジどういう意味?
生きたかった。だから、毛抜け鼠は生き延びた。
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