ラストは、辞書の盗難事件から愛猫タマオの死の記憶が突如想起され、身近な人たちの死の記憶へとそれが広がり、沈鬱なのにどこか不条理な思考とともに記憶がとっちらかっていく中、プールのロッカーの暗証番号をどうしても思い出せない、という、これまた妙なシーンで物語は終わる。
散らかった記憶は、意味の連環のようにも思え、否定の連続による主人公・優奈の生の証明のようにも読める。しかし、作者の本意はどちらでもあるまい。むしろ、意味の否定や存在の否定を重ねることで、何か別の価値を見つけ出そうとあがいているようにも読める。おもしろいのだが、正直言ってよくわからなかった。この、わからなさこそが多和田さんの素晴らしさなのだと思ってるけどね。
ラスト、引用。
優奈はどれくらいの間、泣いていたか分からない。その日が終わってしまうまで泣いていたわけではない。太陽がアメリカ大陸に完全に渡ってしまうまでには、まだ時間があった。しかし優奈が泣いていたのは、人生に全く変化が起こらないほど短い時間だったというわけでもなかった。背後に息づかいを聞いて振り返ると、辞書泥棒が立っていた。辞書泥棒は優奈の体を優しく脇に押しのけると、素早く四つの数字を押した。ドアはクラックとい音をたてて開いた。
- 作者: 多和田葉子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/03/04
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