わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

 「本 元祖の祝祭  『電気馬』--津島佑子」安藤礼二

「新潮」六月号の書評欄。津島さんの新作の紹介なのだけれど、書き出しの部分を読んで、最近自分は広告などを手掛ける者として、言葉を大切に扱えているのだろうか、突き詰めて使っているのだろうか、と反省してしまった次第。戒めの意味を込めて、引用。

 作家は、自らが意識的に、また無意識的に使っている言葉という存在を根底まで突き詰める。言葉を物質のように取り扱い、言葉を繊細かつ大胆に、自然を構成する元素のような次元にまで解体してしまう。土のような、水のような、火のような、そして風のような言葉を身に着け、そのエレメンタルな言葉によって、未知なる風景を描き出そうとする。間違いなく自分のものでありながら、自然と直結するような言葉、森羅万象に開かれた言葉。自己と他者、私と世界という分割を許さない言葉によって再構築された風景は、作家にとってきわめて固有のものでありながら、それを読む無数の読者にとっても深く納得される普遍性を持つことになる。

電気馬

電気馬

光の曼陀羅 日本文学論

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