六時、ふっさりした何者かの気配を頬のあたりに感じ、顔を横に向けたら花子の腹があった。そのまま顔でうりうりしてやったら、髪の毛をペロペロと舐められた。それで寝癖直してよ、とつぶやきながら起床。
猫が身体を寄せてくるということは、寒い、冷えるということだ。たしかに日中はまだかなりの暑さだが、朝夕の空気の冷えっぷりは夏のものではない。月曜の日経新聞の夕刊に古井由吉が露について書いていたが、なるほど朝露なんてガキのころ以来見てないな、そもそもそんなものの存在自体忘れていた、と記憶を辿りながら読んだ。確実に何かが失われている、と悲嘆するのではなく(古井さんもそういう意図で書かれてはいないんじゃないかな)、その変化になかなか気づかぬ自分の鈍感さや愚鈍さに、あるいは鋭敏さの向かう方向が子どものころとはまるでずれてしまったということに気づかされ、唖然としたわけだ。気づかされるというのは、楽しい反面、自分自身がどんどんバカに思えてしまって少々ツライ。が、バカにはバカなりの楽しみ方や感じ方もある。割り切りが肝心。割り切り方ではなく、割り切れる潔さという意味で。
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と思ったが、別に検索したらちゃーんとヒットした
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夕方、カミサンと散歩へ。善福寺川沿いの遊歩道を歩いていたら、遊歩道からコンクリに固められた川のほうに枝を張り出している大きな桜の木の枝に、コサギが六羽、チュウサギが一羽、留まっていた。なぜか七羽とも同じ木に留まっている。道沿いに大きな木はいくらでもあるというのに、どういうわけかこの木が好まれているらしい。