めずらしく、古井さんがインタビューに応じていた。写真も掲載。5年くらい前に世田谷ですれ違ったことがあるが、あのころよりさらに隠者の雰囲気が濃くなっている。記事にもおなじことが書いてあり、笑ってしまった。
このインタビュー連載、景気の「底」から脱却できる可能性はあるのか、どう脱却するのかを問う内容のものなのだが、市場経済と距離を置くような作品を書きつづける古井さんに「底」について尋ねるというのはすごい発想で、そもそもそれが記事になりうるかどうかはかなりの冒険のようにも思えるが…実は古井さん、景気の動きには敏感で、距離を置いているからこそ、冷静にその動きを観察し的確な批判をしている。もっとも、この「底」という言葉には『表現の底』という意味もある。市場経済において効率化が進んだ結果、言葉はそぎ落とされ体裁ばかりつくろわれ、本来の役割を失いかけている。このような社会状況だからこそ(って認識、ぼくはしたくないし、こういう表現こそ「底」なんだって思うのだが、それはさておき)、文学者の役割が重要になる、と古井さんは考えているようだ。ちょっと引用。
今こそ、ことばが復権する時では?
「どうでしょう。文学者もまた同じようにデジタル化したことばの兵糧攻めにあっているのですから。ただ、表現というものは土俵際に追いつめられたときにしか出てこないものです」
今回は表現者にとってまだ本当の「底」ではないと。
「本当の底を見たくないもんだから、底だ、底だ、と言っているのです。でも、うすうす感じていますよ、今回の不況は“循環する景気サイクル”の不況とは違う、限界気の入り口なんだということを」
「もう10年くらいたつと(中略)人類全体の成長の限界がはっきり見えてきて、いかに破局を先に押しやるか、緊張が年々高まっていくはずです。そんな状況が続くと、新たなことばが必要とされ、よみがえるのかもしれません」
ぼくはこのインタビューにある「限界」や「破局」を、道を誤ったがゆえに見えてきたものだと解釈したい。ならば一度戻り、出直せばいい。正しい道を辿りなおせばいい。その際の案内人であり、マイルストーンであるのが、言葉なのだと思う。ただし、この役割を直接的に小説や詩が担うわけではない。小説や詩は、材料なり土台なりを漠然と用意するだけだ。そこに連なる言葉たちを読み取り解釈できる存在である読者にこそ、正しい道を辿りなおす役割があり、辿りなおすことのできる可能性がある。
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