わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

比喩の本質

 六時起床。花子が腹の上に乗っていたが、おろした。振り落とした、と書いたほうがよりリアルかもしれない。
 早々に身支度を済ませ、新聞を取りに行くついでに外に出て善福寺川の揺らめく川面を黄金色に輝かせている朝日を見てありがたやー、などと思いながら強ばったカラダを軽くほぐす。八時から仕事に着手。某通信事業者企画。この会社の仕事をするのは六、七年ぶり。商品や市場状況は大きく変化したが、お客様側の体制や特性はそのままのようで、なんとなくではあるが、把握しやすくかった。
 十時すぎから急に外が暗くなりはじめた。暗雲が立ちこめる、などと書くと進行中の事案がたち行かなくなるさまをついつい思い浮かべるが、そうではなくて実際に空を暗い雲が覆いはじめているわけだ。比喩によく使われる表現には、いつしか比喩の意味をなさなくなってしまう性質があるのかもしれない。
 夕方、冬の冷たい雨がふりしきる中、外出。小石川にて打ち合わせ。終わった頃にはみぞれになり、丸ノ内線、山手線、中央線、と乗り継ぐうちにみぞれは雪に変わり、雪はどんどんそのツブを大きくさせていった。荻窪駅についたころには、路上にうっすらと雪がつもりはじめていた。油断して歩いていると、歩道にできた緩やかなスロープや盲人用の黄色いプレート(あれ、何ていう名前だ?)の溝、マンホールのフタなどでツルルッと足を滑らせてしまう。
 二十時、帰宅。花子に雪の降る様子を見せてやったら大興奮していた。