尊敬する作家の一人である古井由吉さんが、バブル期に書いた短篇集。
「息子」。何事も無難にこなしつづけてきたはずの息子が事業に大失敗する前に店を畳み、精神に異常を来し、妻子と別れ独り身になって実家に出戻ってくる……のだが、主人公である作家・柿原に息子はいない。どうやらこれは夢らしいが、妙に明晰でリアリティもある。しかし、どこかで破綻している。
書き出しを引用。深いものを読み取ったというわけではないのだが、気に入ったので。
長い旅から戻ると、息子が家に帰っていた。たっぷりとした太編みの毛糸の物を着込んで、白髪のだいぶになった頭をうつむけ、父親の留守中に二階の隅にあたる勉強部屋の、昔のままの坐卓に向かってもう半年も居るように落着いていた。遠くで大工仕事の音が立って日足は障子に傾いたが、朝から続いた晴天の匂いが黄ばんだ美濃紙からふくらんで、晩秋ながら日の永そうな背つきに見えた。
つづいて、夢の中での息子の独白。
「何もかも遠のいた。失せていく手応えに、懸命に追っつけるほどに、狂っていった。狂うことによって、追っつけていた。それでもあの頃は、窮地にあっても、人には信頼された時期だった。そこを乗っ越して、正直、草臥れはてた。病院にも通ってみた。まわりの者を得心させるために入院も繰り返したが、じつはもう狂う気力も、必要もなくなっていた。困り果てて、ある時、自分はもう死んだようなものなので、とつぶやいた。ただそう言ってみたまでのことだ。そうしたら、声が返ってきた。まわりこそ、人も世も、おまえに対して、とうに死んでいるのだ、と。これもただ、勝手にそう思ったまでのこと、死んだというのが不穏当なら、たがいに向こうになった、とそれぐらいでいい。たがいに閑散、でもいい。とにかく、それきり静かになった。風景がすっきりと目に映ってきた。物のお供懐かしく聞こえる。人心地がついた」
人間なら誰もが内包する狂気の種とその萌芽に対する異様なまでに鋭いまなざしと、どこか弛緩した、そして時代との距離感が感じられる日常のギャップの大きさは、この時期の古井さんの特徴の一つと言えるかもしれない。
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