「影」読了。影にまつわる記憶はやがて、若いころに勤めていた金沢にある大学での、恩師のエピソードへと流れ込む。互いに金沢を離れ、しばらくしてから知った恩師の死に主人公はショックを受ける。ちょっと長いけど引用。
思いでは受け止めきれない事がある。そんな事に出会うと、私は物を考えずに呆然と時を過してしまう性質のニンゲンだ。(中略)考えずにいると、事柄はかえってじわじわと内に染みこんできて、細かい網の目を広げていく。考えるということも、一種の防禦機制なのだ。
そうやって私は自分の内側に影を養っている。生きるということは、死を養うことなのだ。人間の生命は結局のところ、半浸透膜で外と隔てられた細胞のような物であるように、私には思える。時の流れは自由にその中を通り抜けていく。そして通り抜けていく流れから、生命はすこしずつ死を漉し取っては内側に貯めていく。そのうちに死は内側に貯まりきって、時の流れさえ通さなくなる。季節の移り目に、徐々に姿を変えていく草木を見ると、草木の生と死はあくまでも時の流れとともにあって、時の流れに溶けこんでいるという気がする。それに引き替え、人間は内にたまった死によって、内に閉じ込められて死ぬのにちがいない。その思いが私には堪えがたい。
- 作者: 古井由吉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/04
- メディア: 文庫
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