「群像」2月号掲載。ヨーロッパツアー(ドサ回りですな)から戻ったコンテンポラリー・ダンサーの男性の時差ボケを、冷静に観察し描写する同棲相手の女性。ところがこの女性は時差ボケではないから、男の横で眠っている。眠っているのに、事細かに男の様子を描いている。それどころか、心理描写も、訪欧中の記憶すらも彼女の視点から描かれる。実際にはあり得ないことで、読んでいると違和感ばかり感じるのだが、その一方で妙な説得力があり、グイグイと作品世界に引き込まれてしまう。以前読んだ、ホームベーカリーの話(タイトル忘れた)にもそんなところがあったが、本作ほど徹底していなかった。非常におもしろい。
上記の部分とはあまり関連性がないのだが、気になった部分を引用。
彼は、飛行機というのは距離を取るための装置なのだと思っている。「いろんなことをどうでもいいように思わせてくれる」というのも、それを言い換えたものなのだ。飛行機、空港、時差、機内で過ごす長い時間、使っているのが外貨であるせいでいつもより金銭感覚が麻痺すること、小用便器の形状や高さが慣れ親しんでいるそれとは違うというような些末なことの一つ一つに目が向くこと。おそらくはそうしたいろいろなことの総合の結果が、距離を取る機会を、人にさずける。そして、たとえば旅先の町で、そこに住む人々が送る生活の様子、その一端を眺めていると、その平凡な日々の営みを、いとおしいものと捉えることができるときが、彼には訪れる。でも、そういうのはなんか、許し難い、傲慢なことだと思う。そういう傲慢さは、距離を取る装置を経た、そのあとだからこそ得られているものだ。
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