「人称の磁場」。2章分だけ読んだ。吉本隆明『言語にとって美とはなにか』に対する寺田透の批評から出発し、ふたつの一人称「私」と「わたしたち」の違いについて考察。サールを引用しながら、「わたしたち」は「私」に内包される、という考えを提示している。
『言語にとって…』は、『共同幻想論』とまとめて大学生のころに必死になって読んだ。サールは読んだことない。
ちょっと気になる部分を引用。
死ぬのは他人ばかりと言うが、「私」には原理的には死は存在しない。「私」は死なない。死を理解するということは、したがって「私」が「彼/彼女」でもありうることを理解するということである。「私」はあ「あなた」と「わたしたち」を形成し、「彼/彼女」を析出する、すなわち排除する。「彼/彼女」は眺められ、見つめられるべきものなのだ。だが、その「彼/彼女」もまた「私」でありうる、いや「私」にほかならないことを知ったとき、人は強烈な恐怖に、歓喜に、要するに感動に襲われるのである。
人は自分もまた死ぬだろうことに感動しているのだ。
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