わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

シルク姐さんと寛平ちゃん

 六時起床。台風は温帯低気圧に変わった、という気象情報を聞いたのはたしか昨日の夕飯後あたりの軽い満腹感にまぶたの重く垂れる時間帯で、台風一過の脳天気なピーカンにこそならないだろうが、長雨の鬱々とした気怠さや轟々と降る豪雨の威圧感からは解放されるのだろうな、と多少ではあるが想像してから寝た。だが、いざ起きてみると強風が植え込みや窓や手すりや壁を容赦なく打ちつけ震わせる音がばかり聞こえる。可燃ゴミを捨てるために外に出てみると、横からの風に髪も体もゴミ袋もあおられ、台風の日の朝をつい連想した。実際これは台風そのものであって、昨夜の情報が誤報なのではないか、と思ってしまったが、やはりそんなことはないようだ。台風ではない。
 仕事。ひとつのことに腰を据えてじっくり、となれば効率もクオリティもよくなるのだろうが、あれこれを同時進行しようとするから、クオリティのほうはともかく、効率は驚くほど落ちる。それでも、たどっては先に進み、進んでは電話やらメールやらをきっかけに止まり、となんとかこねくり回しているうちに、少しずつではあるが、先は見えてきた。
 十一時、猫雑誌の編集者とカメラマンが来訪。愛猫・花子&麦次郎の取材だ。テーマは「老猫と生きる」。たしかにウチの子たちは15歳を超え老猫と呼んでもおかしくないのだが、花子は慢性腎不全が若干進んでいるが生活には差し支えないし外見はつやつやと美しく(シルク姐さんみたいな感じ?)、麦次郎は生来腎臓が一つしか機能していなかったせいで腎不全が進行して皮下輸液こそしているものの、峠を越えてからはグングンと恢復し、今では元気いっぱいに部屋中を走り回ったり(寛平ちゃんみたいな感じ?)、ベランダをパトロールしたり、と雄猫らしい生活を送っている。老猫であって老猫でないようなところがあるので、記事にしたところで老猫とやこれから老齢期を迎える猫と暮らすほかの人たちの参考にはならないかも、と思っていたのだが、編集者の話を聞いていると、ウチはかなりこまやかに猫の体調管理とケアをしていたようで、それが今の元気さにつながっているらしいということがわかってきた。なるほど、今やっていることからレベルを落としてはいけないということだな、と胆に命じた。雑誌は8月中旬発売らしい。どの雑誌かは、今はナイショ。

Cat Fancy [US] July 2011 (単号)

Cat Fancy [US] July 2011 (単号)

猫びより 2011年 07月号 [雑誌]

猫びより 2011年 07月号 [雑誌]

猫生活 2011年 07月号 [雑誌]

猫生活 2011年 07月号 [雑誌]

 この写真は、花子が出産したころのもの。夫はよそんちのソマリ。麦次郎は義父としてかいがいしく子育てに参加するイクメンだった。花子はプチ育児放棄。おっぱいをあげるだけだったような。それだけ麦を信頼していたのかもしれないが。


 昼食後も慌ただしく仕事。十五時二十分、外出。八丁堀にある某デザイン会社で新規案件の打ち合わせ。デザイナーT氏と悩みつづける。が、なんとか方向性を捻り出すことができた。
 十八時三十分帰社/帰宅。帰宅後もなんだか慌ただしかったが、二十時にはすっかり落ち着いた。