爆睡して起きて仕事して爆睡して起きて仕事して今に至る。
と書くと一日がシンプルに思えてくるのではないかと考えていたが、そうでもないらしい。シンプルとはおそらく背負っているものまでもが少ないということだ。だが、上の文で用いた「仕事して」という言葉が背負っているもの、すなわち意味、あるいは省略されてしまった一切合切の行動は、あまりに多すぎ、そして複雑すぎる。そしてぼくが引かれるのは、シンプルなだけの世界ではなく、一つの言葉にあらゆる意味や行動が凝縮され、そのまま危なっかしいバランスでふらふらと進んだり無茶を承知で突き進んだり、凝縮されたままあえて停止しつづけるような世界だ。五時五十分起床。
曇りがちだというのひ陽射しは朝からすでに強い。だが、風がある。木蔭はひんやりと心地よい。十代のころは木蔭の心地よさがよくわからなかった。直射日光を遮る、という機能でしかとらえていなかったような気がする。
八時前から仕事をはじめたが、すでにメールラッシュの兆し。だがこれはそう長くつづかなかった。あらかじめ組んでおいた予定どおり、仕事が進む。
午後、外出。後楽園方面へ。打ち合わせ二本。うち一本は電子書籍関連。最近はiPadがらみのソリューションを提案したいから知恵を貸して、みたいな話がかなり増えてきた。iPad、そろそろ買うべきだろうか。仕事の道具として、というより資料というかメディアのサンプルとして必要になりそうだ。
十七時、帰社/帰宅。メールの処理と月末の伝票処理をしていたら、あっという間に夜になってしまった。