わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

小野正嗣『夜よりも大きい』

 先日、古書店で買ったご本人サイン入り(笑)。売るなよ。
 国も時代設定もよくわからない、とある場所にある児童保護施設のお話、らしい。イメージのなかに意識的に登場人物を埋没させてしまおうという意図があるのか、抽象的で掴みづらいのだが、面白い。マルケスボルヘスを足して二で割ったような感じ、といったら言いすぎかな。
 意味不明な、でも読みすすめると納得できる書き出し。引用。

 真夜中になると鳴き声が聞こえてきた。夜の闇はぴったりと閉じられていた。そう見えるだけで、いろんなところに傷口が走っていた。そこからすすり泣く声がこぼれてくるのだと思う。夜そのものが泣いているようだった。泣く声は、小さな虫のように増えていった。でも埋め尽くすには夜は広すぎた。押し殺されるほど闇は重くなかった。泣き声は不安そうに、さみしそうに群れかたまって傷口から離れようとしなかった。それらを散らそうと指をそっと伸ばした。かすかに震えが感じられた。指の腹が光っていた。涙を拭ったように濡れていた。
 真夜中になると風が止んだように思えるのは、これから夜を振るわせることになる泣き声がすでに耳のなかを満たしているからだ。わたし自信もなたその泣き声を待ちかまえているからだ。鼓膜は一瞬先にしか起こらないことをすでに思い出しているかのようだった。思い出すことで、思い出しているのだから、それはとっくのとうに、ずっと昔に起こったことなのだ、記憶のなかにしか存在しないことなのだと言い聞かせることができる。耳にしていることはもう過去の出来事であり、少なくともいまは存在していないのだと。ところが、そのいまは一瞬のうちに過去になり、記憶そのものは決してなくなることはなく、そのために夜は震えつづけなければならないのだった。

夜よりも大きい (真夜中BOOKS)

夜よりも大きい (真夜中BOOKS)

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