死んでしまった八の字模様の顔をした猫が、動かなくなった肉体のなかで意識のみを使い、いわゆるお迎えがくるのを待ちながら、死という現在を受け入れながら過去を回想してゆく。意識面や知性のみ極端に擬人化されているのがちょっと鼻に付くようなくどさがあるのだが、もし猫に知性があるなら、なるほど世界はこう見えているだろうし、猫同士はこんな会話もするだろうし、といった部分は非常に多い。川崎さんの猫に対する観察力や想像力の高さに感服した。
猫の死生観が克明に現れているな、というのは、たとえばこんな部分。夏に親猫とともに池に入って泳ぎ、池から出て大の字になって寝た、という記憶。
草むらの死骸にとっては起きなかったことも起きたことも、もはや差はない。同じ過去の表裏である。表は裏の支えを得てより確かな時間となり、裏は貼り合わせる表があってこそ存在する。ならばわたしは親の背にしがみついて池を渡ったのであり、「しっかりつかまってるんだよ」と振り返った母の声を聞いたのだし、わたしたちは大という字をしらぬくせに毛むくじゃらの腹を八月の日にさらして大の字になったのである。
あまりに擬人化されてすぎているのだが、そこに猫の(というより、生き物としての普遍的な?)死生観が挟み込まれると、擬人化が一段高みに上ったような、妙な高尚さが感じられるようになる。しかし、高尚だというのに不思議なくらい親しみぶかくて、愛おしさすら感じてしまう。おそらく、川崎さんの野良猫に対する想いや愛は、こういう方向を向き、こういう思想に支えられているのだろうな、と容易に想像が付いた。
- 出版社/メーカー: 講談社
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