晩年の父の記憶の老化による混濁。周囲が覚えていたこと、あるいは元気だった頃に父から聞かされた話が、数十年をひとっ飛びして意外な記憶同士をつなげながら話す父の欠落を埋めていく…。
記憶と史実、あるいは主観的記憶と客観的史実とカンムリを付けてあげたほうがよさそうだが、この二つのせめぎあい、もしくはささえあいという視点から、愛する父の一生をたどった作品。派手なエピソードも鮮烈な描写も本作にはない。ただ静かに、人が生き、そして逝く姿を、たどる。ただそれだけの小説だ。だが、それでも感動はできる。他人であるはずの「父」が、たまらなく愛おしくなり、自分の身近な人物(の将来像)に、知らず知らずのうちに、重ねあわせ、そしてそのそばにいるはずの自分の姿も、夢想する。そんな感じ方ができるということは、本作が豊かな小説世界を持っているということの証拠なのだろう。うん。個人的にはとても気に入った。