「群像」2015年1月号の新年短篇特集の一篇として掲載。
私小説風と言っていいのだろうか、保坂自身と思える書き手が、保坂が敬愛してやまぬ小島信夫→ではなくて哲学者の木田元とおぼしき人物の訃報を聞かされるところからはじまったものだから、てっきりこれは二人の交流についての話かと思いきや、季節の話、猫の話、近所の家の話、植物の話、がただひたすら散漫に、あっちに飛びこっちに飛びしながら進んでいくのだが、読み進めるにつれて、「老い」「死」「(死んで)託す/託される」というキーワードが見えてくる、とはいえ、やはりだからなんなんだ、という勢いで、一切の論理的な質問や疑念を拒否するかのように分裂的かつ「、」を多用し、時には「。」の代わりに使うような、谷崎の『春琴抄』を思わせる文体で、でも谷崎ほどねちっこくはないのだが、とにかくそういう、息が詰まるようでいて一方でスキだらけの文体と飛躍しすぎ、でも時に細かな点にいつまでもこだわっているような内容、なんなんだ、と尋ねたくなるような内容で、あれま、という感じで作品は終わってしまう。
めっちゃくちゃな内容だがテーマは明確かつそのテーマの核心に近づくための方法としてこんな書き方をしているんだろうなあ、という感じで、めっちゃくちゃおもしろかったです。