昭和天皇崩御の前後だから1989年頃という時代設定。まさにこのころ、ぼくは大学生で実家のある茨城県古河市、すなわち本作の舞台となった町に住んでいた。風景描写は懐かしく感じられたし、地理的にも整合性が取られているので、普通の小説を読む感覚ではなく、ある種のノスタルジーを伴いながらの読書となってしまったので、まっとうな読み方ができなくなってしまった。
乳児の遺体遺棄や誘拐といった事件、下血を繰り返す昭和天皇、息子の病気、娘の心の病気、妻の不安定な精神状態、サラ金からの借り入れ、田舎の風習や土地柄へのなじめなさ、田中正造と足尾鉱毒事件、そしてデビューはしているのになかなか書けないでいる新しい小説…と陰鬱な要素は極めて多いのだが、渡良瀬遊水池の自然描写、工場での労働、そこでの技術的な向上心、息子や娘の病気をなんとかしたいという気持ちと行動、家族を養おうという意思、そして古河の人たちとのささやかな触れ合いが、かろうじて作品世界に希望と明るさを与えている。読者は、この明るさに必死になってすがっていたくなる。そうしないと、いつこの主人公や家族により大きな不幸が起こるかわからないからだ。ささやかな綱渡り。そんな感じの小説だった。
それから、人によっては今の原発事故と重ねながら読む、というか自然とそういう読み方になってしまうのだろうなあ、と思った。
- 作者: 佐伯一麦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/12/26
- メディア: 単行本
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