わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

雪の記憶

 夜中、花子に何度も噛まれた。ごはんちょーだい、の意思表示だと思う。だが、あげてからも噛まれた。釈然としない。六時起床。
 雪。白く大きく重たそうな雪が横へとかすかに流されながら降り落ちる。幻想的な雰囲気はほぼ感じられない。ふわふわと舞うような重さのほぼ感じられない雪ならこの世ならざる何かを感じるのかもしれないが、ぼた雪の場合は、あー面倒くせえ、くらいにしか思えない。さっさと雨に変わっちまえ、という気持ちも隠せない。子どものころに感じたワクワク感など、どこかに消えたままになってしまう。…などと考えていたら、子どもの頃に雪遊びをした記憶がないことに気付いた。関東平野のど真ん中、ふきっさらしの畑ばかりの土地に生まれ育った。雪国ではないがまったく縁がないというわけでもないというのに、雪だるまをつくったことも、雪合戦をしたことも、思い出せないのだから、おそらくないのだろう。かろうじて、家の裏に広がっていた畑に積もった雪を登下校のどちらかの時に目にして、ふーん、と思ったことだけが記憶の底からよみがえってきた。どうでもいい、カスのような記憶だ。いちばんよく覚えているのは、高校生の時に30センチ以上積もってしまって登校困難になった時のこと。あれは記録的積雪だったはずだ。登校途中におなじクラスだがまったく口をきいたことがない女子と鉢合わせてしまい、二人でたいした会話もせず、黙々と深い雪のなかをずぼずぼと苦労して歩いていった。あの子はいまどうしているのだろう。気になるが、とても知りたいというわけでもない。
 麦次郎、ベランダに出ようとしていたのだが、降りつづける雪を見ると断念し、人の顔をみながらしきりに何か訴えるように鳴き出した。変なものが降っているから止ませろ、と言っているように聞こえた。そりゃ無理だよ。
 仕事。かなり落ち着いてしまっているので資料整理が中心。時折、届いたメールへの対応。ぼくの手を離れた案件の進行を見守り、時に手直しする。ちょうどそんな谷間に来てしまっている。
 カミサンは友だちとランチをするのだといって外出。ぼくは昨夜の肉ジャガの残りと漬物で昼飯をささっと食らい、リビングで麦次郎といっしょに二十分ほど昼寝。時間が空いたので、スマホでメール確認だけはしながら溜まったシャツのアイロンがけ。雪はすでに雨に変わっている。山下達郎の曲の反対だな。
 夕方、吉祥寺へ。デイリーのコンタクトレンズを購入。視力が低下していることを伝えると、今の視力にあった度数を提示してくれたが、これでは逆に手元がギラギラして焦点も合いにくくなり、仕事に支障が出てしまうので今までの度数のままにすることに。こんな状況になるのも老眼の一種らしい。ま、この程度で済んでいるということは、まだまだ軽微ということか。
 猫ゴハン、昼食用のパンなど購入して帰宅。
 夜も平穏だった。猫たちも大人しい。