「群像」5月号より。
作者は、宗教改革について①なぜ数ある宗教のなかでキリスト教だけに原テクストの「転移」が生じているのか(正教で示された聖書という存在がカトリックでは庶民は読むことができなくなってしまい、しかしプロテスタントでは「聖書に立ち返れ」と転移されることになった)、そして②宗教改革とルネサンスの科学革命はなぜ社会的空間、文化的空間において共存できたのか、の二点について考察を広げる。
テクストの転移を、作者は「外化としての内化」=弁証法的理想モデルとして考える。正教が正、カトリックが反、プロテスタントは(カトリックの反ではなくて)合、ということになる。そしてなぜカトリックが一般信者の原テクスト閲読・解釈を金したのかを、「知性と経験の分離(性)」に見出そうとする。しかし、聖書ではまったく逆なのだ。なぜなら、「イエス・キリスト=神が苦悩する」という仮定を描くことで、聖書は神智と人智の同化、すなわち知性と経験の同化について語っているからだ。つまりプロテスタントは、「知性と経験の分離」の廃棄を主張しているということになる。
…と、ここまで読んだ。
そしてテーマは、もう一つの問題である、宗教改革とルネサンスの科学革命の同時代性についてへと移っていく。
まだ感想を書ける状態じゃないな(笑)。