「群像」2015年9月号掲載。王の身体の二重性についての考察はまだまだつづく。神/キリストが規定した(と考えられる)自然法(=理性)があり、それを正義として規定する存在として王が存在し、王が規定した正義の実体として法が存在するというヒエラルキーが、十三世紀ごろから変質し、子なるキリスト→その否定→理性(自然法)→キリストへの回帰→政体…という形になり、この延長上に、王の政治的身体が現れる、としているのだけれど、正直、ここまでのまとめ方・解釈の仕方に自信はないし、全然理解できていない気がする。自分にとっては、今回は非常に難解でした。