わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

さよなら、ぷちぷち

 今日十六時過ぎ、セキセイインコのぷちぷちが永眠した。2003年3月頃の生まれだから、12歳9カ月。そのうち五年くらいは、慢性の肝不全で闘病生活をつづけていた。検査の数値を見ると死んでいてもおかしくないというのに、いつも全力で元気。不思議な生命力にあふれていたが、九月頃にお腹に腹水が溜まりはじめ、獣医にも「もってあと一カ月くらい」と言われた。でも、それから三カ月もがんばってくれた。この子らしいがんばり方だった。いや、がんばったというより、三カ月間、楽しんでくれたという表現のほうが正しいかもしれない。

 先週は声をかけてもたいした反応を示さずじっとしていることが多かったが、今週は一転して、よく遊んでいた。カゴの壁にはりついてぼくを呼んだり、声をかけると元気よく返事をしたり、カミサンにコピー用紙のきれっぱしをもらうと一生懸命かじって遊んだり。食欲も旺盛だった。だがお腹の腫れは大きくなったような印象。今朝も昨日と変わらぬ元気さで、脱衣所でカゴ掃除をしていると床の上を、ふくらんだお腹をひきずりながらではあるが、ちゃかちゃかと歩き回っていた。元気だな、と安心していたのだが、さあカゴに戻ろうよ、と手のひらに載せたところで、急にぐったりしてしまった。うりゃうりゃが亡くなる直前とよく似た感覚。あの時のつらさが脳裏をよぎる。慌ててカゴにもどし、保温を徹底する。しばらく様子を見ていたが、一時間半くらいすると、元気こそ出ていないものの、夢中になってゴハンを食べてくれた。だが、その後もあまり動かない。体力の消耗を避けるためにカゴをより小さなものに移し替えたりしたが、やはりダメ。十二時過ぎ頃に少しだけ食べてくれたが、これが最後の食事になってしまった。午後には止まり木に止まれなくなり、床に降りて壁にもたれかかるような姿勢しか取れなくなってしまった。だがこれではお腹が圧迫される。それが苦しいようで、時々もがくように動く。この繰り返しだ。つらいが、見守るしかない。

 十六時にトリの病院を予約していたのだが、この感じでは連れて行けない。十六時ちょうどに病院に電話をかけてキャンセルを伝えたのだが、この電話を待って、という感じで、その直後に二度ほど、声は小さかったがしっかり鳴いて、その後息を引き取った。

 悲しい。でも、飼い主としてやれることはすべてやった。だから悔いはない。とっくに死んでいてもおかしくないと言われていた子だ。きっと、天寿を全うどころか、かなりの予定オーバーでこの世に居座りつづけていたのだ。そうに違いない。

 今夜、わが家のリビングで最後の夜を過ごしてもらってから、敷地内に埋めてあげようと思う。

 

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