いしいしんじ「できそこないの王国」。語り手の青年の記憶から突然よみがえった、他界した祖父と観た文楽の思い出。祖父は、生を生き、死を死ぬことにこだわっていた人だった、と語り手は回想する。そしてラスト、祖父の遺骨は、生きることがさまざまなテクノロジーによって引き伸ばすことが可能になった時代を生きる若者たちの手によって、海の見える高台から散骨される。
テクノロジーの発達イコール人間性の喪失、という意見もまた60年代くらいから繰り返し言われつづけてきたディストピア的なステロタイプではあるのだが、そんな時代に(作中では)マジで生きざるを得ないことになっている子どもたちではあるものの、祖父の残してくれたものが、大きな希望となって作品世界全体を明るく照らす。ガンコでとりつくしまのない明るさだけど。
少なくとも、本作には被災も原発事故も被曝も避難も描かれていない。あるのは、希望と生きる力だ。目を背けるべき問題じゃないんだけど、そればかりにとらわれる暗い未来はゴメンだ、という気持ちがつよかったので、なんだか、ほっとした。