わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

大澤真幸「〈世界史〉の哲学 近代篇7 〈金貨/紙幣〉としての貨幣」

「群像」2017年5月号掲載。

 貨幣の発生と流通の過程を考えることは、この世界を形づくる、あるいは動かしている価値や基本原理を考えることにつながる。お金にならない価値がある、みたいな話も当然あるわけだが、その価値の伝播・拡散や自分自身が得る満足、そして価値を得るに至った仮定などを考えると、実は貨幣というシステムとおなじなんじゃないか、さらにいっちゃえば、お金のしくみと言葉のしくみもおなじ、そしてお金も言葉も、価値というものを生み出す上で欠かせない存在…と個人的には思っているのだけれど、その考えはとても掘り下げられないし、そもそもそんな考えを与えてくれたのは、マルクスだったり柄谷行人だったりするわけだからね。彼らがある程度やってくれちゃっているのだから、それを読めばいいわけだし。

 というわけで本作。東洋(中国)と西洋で紙幣と金貨・銀貨のルーツと発展・普及の経緯がまったく異なっている。紙幣の原形が借用手形というのはだいたい想像がつくだろうけれど、東洋の紙幣は天に等しい存在である中国の皇帝がそれを認めるか否かという形で生まれたのに対し、西洋の紙幣は王が戦争をする軍資金を得るために商人たちに向けて発行した手形がルーツになっている。まったく正反対の成り立ちに、思想的・文化的・社会構造的な違いが読み取れて面白い。

 

 

群像 2017年 05 月号 [雑誌]

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〈世界史〉の哲学 近世篇

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<世界史>の哲学 古代篇

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