五時四十五分起床。昭和の日。来年以降も昭和の日は存続するのだろうか。
仕事。某案件の企画。十六時頃に一区切り付いたので手を止め、一時間ほどウォーキングする。ハナミズキ、ノースポール。そして路側帯などのツツジ。クイーンズ伊勢丹の横の道路のツツジは白い花ばかり。この季節はツツジならではとしかいいようのない、濃い光を、いや、強い「色」を発しているような花が群生しているのを見ると、底知れない生命力のようなものを感じる。ここ数年、花を見ると「きれい」よりも「強い」「たくましい」と感じるようになった。か細く咲いていても、その咲くというメカニズムが、強く、たくましい。雑草では、ヒメジョオンだかハルジオンだか、あの花があちこちで。ヒナゲシも路肩に生えていれば雑草なのかな。
夜、妻が仙台から帰宅。おみやげをわんさかといただいたようだ。ありがとうございます。
読書は保坂和志「鉄の胡蝶は記憶に夢を歳月は彫るか(10)」、絲山秋子「御社のチャラ男(13)」(ともに「群像」2019年5月号掲載)。「鉄の胡蝶は」は過去の記憶を軸にした迷走。子どもの記憶と子どもの視点。「チャラ男」は改元について触れられていたが、それよりも、育児環境という視点から見た現代が軽い文体なのにズシリと重く書かれている。「チャラ男」は、少しずつ社会小説になりつつあるような。